日本に来た最初のイギリス人、ウィリアム・アダムズ(William Adams)。東洋派遣艦隊の航海士としてアジア渡航に参加し、1600年(慶長5年)に大分県の佐志生に漂着した彼は、大阪に送られて徳川家康と会見します。
その人柄を気に入った家康は、ウィリアムから諸外国の情勢や学問などの知識を得、彼を軍事顧問として採用。1603年の関ヶ原の戦いにおいては、砲術士でもあった按針の協力を得て大砲等の武器を使用し、見事に勝利しました。静岡県伊東市においては日本で初めての造船ドックを設け、洋式帆船を建造します。
後に、徳川家直参の旗本として三浦按針(みうらあんじん)という名前と、現在の横須賀市西逸見町に領地を与えられた彼は、イギリスに帰国する機会を得ることなく、日本で2人の子を授かり、1620年に56年の生涯を閉じました。
そんなウィリアム・アダムズ(三浦按針)が生まれたイギリスのケント州ジリンガム(現メドウェイ市)は現在、神奈川県横須賀市と姉妹都市、静岡県伊東市と友好都市の関係にあります。また、長崎県平戸市とも深い交流があります。
徳川家康と三浦按針という二人の結びつきが、今なおこうして遠く離れたイギリスと日本の架け橋となっているのです。